道徳と天皇

夏目漱石はロンドン留学中、個人主義社会と個人主義がない日本社会に個人主義をどのように融合させるべきかに苦悩された。個人主義では角が立ち、情に押されては個が成立しない。光が波動でありかつ物質であることは承知しているとして、なるほど、物理学的に扱われる現象も、心理的に扱われることも原理は同じ。人。自然原理や道理に基づき社会形成している国は日本国だろう。古事記を戴く我が国体は秀逸にして眩しく気高い。光そのものである。けだし、天御中主命と両側2神が我々の元の姿である。光は二面を有するが分かたず。日本国は天皇を頂き民と分かたず。これ光である。この国体に於いて道徳が生ずる。光が昼夜を存在させるが地球を分かたず。ここに生物が発生する。同様の理である。西洋とは何か。おのずと未開の世界と知れる。個人主義は社会から離れるほどに道徳から離れる。道徳を無くした状態が「稲葉の白兎」だ。サメをダマして、ウサギは丸裸。大国主命が救った。個人主義のウサギが我を通してサメの善意を利用した。大国主命はサメを殺したりはしなかった。分断せずに包括した。ここに道徳の原型がある。天皇のご存在は水や空気ではない。夏目が悩んだことを既に解決している。文豪といえども悩む領域だ。今次のお金を光と仰ぐ愚かさよ。金は通貨でしかない。しかも、金利が付いた如何わしい通貨を発行する者等が、「稲葉の白兎」を演じ、選民思想をもって嘯いている。そこに道徳は存在しない。サメをなめんなよ!

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました