物事の本質 光と影と存在 幸せとは

情緒を廃して、哲学的に考えてみよう。情緒的表現ではありません。身近で明らかなことを論理でつないでみることで、広く説明できるかどうかの作業です。情緒は局部的で一過的です。哲学は広範囲で普遍的です。太陽の光で木には影ができます。これはどこにおいても普遍的で広範囲にみられます。因果でしょうか。その言葉の表現では原因と結果を示すだけです。光と影は因果でつながります。しかし、木がなければ、因果は発生しません。光だけでは因果は発生しない。影そのものも存在しない。光と影は存在しない。異質のものが必要条件となります。それが木の存在です。木があって初めて光と影がその姿を現す存在になります。幸せとは、何を指すのでしょうか。光?影?木? 幸せとは光と影と木の存在を感じとることでしょう。それは情緒の領域です。局部的で一過的でかつ循環的でかつ包含的です。幸せを手にするには不幸が必要です。幸不幸の因果を発生させる木は人です。幸不幸を情緒で受け止め初めて幸せに至る。人には因果を発生させる肉体的実態がある。同時に因果を認識する情緒が備わっている。人は時間の経過とともに、情緒により因果の諸相を味わうことになる。

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