道徳と金利

通貨には金利がつきものだ。金利とはなんだ?無意識に受け入れている私たちは、もしかして騙されていないだろうか。金利は誰が考案したんだろう。通貨は発行はロンドンの金商が預かり証を発行し流通し始めた。1694年、イギリス国王オレンジ公ウィリアムが戦費調達にイギリスの通貨発行権を渡した。イギリスは国家ではなくなった。通貨は機能がある。商売にはお金をやり取りする。交換機能だ。資産を保存する等の役目もある。人にとっては「えさ」である。「えさ」を求めてすべての者が争奪を繰り返す。盗賊から事業家に至るまで。娼婦から売国奴に至るまで。ほぼ全ての者は「えさ」に食らいつく。そこに騙しはない。みんな知っているし、実行している。しかし、お金に金利を付ける世界と付けない世界では様相は全く異なる。金利を付けると発行者の奴隷となる。発行者が国家なら民による民のための何らかの貯金。公に使われる種類のお金になる。公の存在がカギだ。しかし、これが民間の誰かとなると、話は違う。通貨を借入れたり使用したりすると金利により、通貨発行者の民間人に隷属化する。支配完了。民主主義にしようが、共産主義にしようが、国家などすでに存在しない。大衆には金は汚い。と言って、賢そうな大衆に仕上げればいい。通貨発行者にとって通貨発行になど疑問を持たれないようにすることが必須だ。道徳とは公である。「私」となったときあなたもわたしも身の危険が差し迫る。道徳が存在しないのだ。つまり、私たちが「えさ」にされるのだ。

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